身体訓練法と身体文化
人の身体はいつの頃からか言葉により名前をつけられはじめバラバラに解剖されていった。今日ではもともとまるごと一つであった事を忘れ細分化された概念が私達現代人を取り巻く身体感覚といってよいのではないかと思う。もともとまるごと一つである人の体はそれぞれの部分が全体と何らかの関係をもっているものである。発声器官も同様で結果、発声も身体全体と何らかの関係性をもっているものである。身体が楽器とよく言うのは正にその事を指す。(よく身体が楽器という事を引き合いに出して全身に声を共鳴させるというが、これはまったくの間違いである。共鳴する場所はあくまで下咽頭腔、中咽頭腔、上咽頭腔とを合わせた声道である。鼻道や口腔が共鳴腔であるとする事については意見が分かれていて共鳴しないとする説もあるが、共鳴しないとする説を私は有力説として判断するので、ここでは声道のみが共鳴腔であると定義しておく事とする。よって身体全身に共鳴という事は現象としてはあり得ないという事になる。歌い手達が感じるのは共鳴ではなく振動である。共鳴と振動とは似ているがまったく別の現象である事をここで断っておく。)そのため身体性は声に微妙な影響を与えるものである。小泉文夫氏が当時バリ島の芸能ケチャを修得しようとしてた芸能山城組に対しケチャ独特の身体性も取り入れる事をアドバイスする事によってケチャそのものを完全にマスターしたのは身体性と声が密接な関係をもつ事を示すものの一つであると思う。歌い手にとって最も理想的な身体性を得る身体訓練法はおそらく野口体操であると私は思う。野口体操は東京芸大の体育教授であった野口三千三氏によって創造された体操であり、デカルトの心身二原論的な西洋における身体観に対するアンチテーゼとして生まれたものである、その基本哲学は身体を液体である事をイメージする事により身体はもとより精神や息をも解放しようとするものである。当時この体操は芸大の声楽学生をはじめとし新劇界や教育界にも認められ多くの芸術家や教育家を啓発した。中でもメルノポンティの身体論に強く影響を受けた演出家の竹内敏晴氏は野口体操からも多くの影響を受けている。そして近年『声に出して読みたい日本語』の著者の斎藤孝氏や小劇場ブームの第三世代を築いた劇作家であり演出家である鴻上尚司氏(サードステージ主催)や脳解剖学者の養老孟子氏等の人気作家がその著書で野口体操をとりあげた事により再び静かなブームを巻き起こしているのである。この体操以外にも声のために良い身体訓練法は沢山ある。いくつか以下に紹介する。

・アレクサンダーテクニックはボディマップと呼ばれる身体の地図を作成し身体性を調整するものであり、歌い手や役者のみならず楽器奏者の身体性の回復にも使用されている。

・フェルデンクライス身体訓練法は心理的側面と身体の繋がりを非常に重視した訓練法である。

・メビウス気流法は螺旋感覚を大事にした訓練法であり、

・肥田式強健術は『聖中心』をとらえる事を基本とした身体訓練法である聖中心とはいわゆる丹田の事であり腰と肚を鍛える事により美しい姿勢が創造されるものだと説く、「美しい姿勢は中心に伏在する」とはその全てをもの語っている。

・岡田虎二郎氏が開発した岡田式静坐法は大変に素晴らしいものだと思う、その哲学は道元禅師の只菅打坐に近い、いわゆるただひたすら坐る事を説いたものである事が単純明快かつ本質的である。また丹田の重要性はここでも強調される。

・中村天風氏の養生術の基本は呼吸法にある。呼吸法と身体訓練法というと分けて考える人が多いが実際には身息一如的な側面が強いしそういい切ってしまって良いと思う。天風氏の呼吸法で重要とされたのは肩の力を抜く事と丹田に力を充実させる事と肛門を締める事である、いわゆる『上虚下実』の身体性を理想としていた事が伺える。またこれらの身体訓練により副交感神経の機能を高め細胞の活動を活発化させる事が可能とされる。

・操体法は橋本敬三氏によって創始された体操でありその基本は歪みのない身体を重視するものである。ちなみに元ヒカシューのボーカルであり日本にトゥバのホーメイを紹介し自らもホーメイ歌いである巻上公一さんは操体法から発声のヒントを多く得たという事をその著書で語っている。

・真向法は長井律氏により創始され幼児の自然な身体性を目指しているのがその基本哲学である。しかし現代の幼児の身体性が理想的かどうかにはいささか疑問がある。私は五百人以上の子役俳優の指導を行っているが幼児の身体性が皆が皆素晴らしいかと問われれば答えはNOである。以前養老孟子氏が現代の70年代の子供の想像力に比べ明らかに落ちている事を現代と当時の子供達が書いた絵を比べる事によって説明しているが、現代の子供達の身体性も落ちているような気がしてならない、養老孟子氏は現代がボタン一つで何でもでき何かを行う時の過程が欠落する事により子供達の想像力が落ちたのではないかと説明していたが、身体性も遊びがデジタル化される中で外で遊ぶ事がなくなり早くから大人のような固まった身体性になってしまった子供が多いような気がするのである。斎藤孝氏はかつての子供達の遊びは自然に理想的な身体性を身に付けられるものが多かったという。またかつてはわらべ歌により自然な発声や音感が鍛えられたものであるが現代ではわらべ歌を歌う子供の数は明らかに減ったような気がしてならない、また歌わない子供が増えた事は確実である。その原因は子供達に聴いてみた所、親に音痴と言われたからだと言う、音痴という言葉の意味を知らず子供から歌を奪った罪は限りなく大きい!だが親達に悪気はなく罪の意識がない事も確かなのである・・・。こういった問題は私自身も現場の中で少しづつ改善していきたいと思う・・・。

子供達の問題を多くあげてきたが、それでも良く耳をすませると子供達からかつてのわらべ歌が自然と伝承されている事にも気付かされる。「かくれんぼするものこの指とまれ!は〜やくしないと」「何とかちゃん!い〜れ〜て」「い〜い〜よ」こういった自然と伝承されるわらべ歌は子供達が伝承した子供達の民謡であり、それと同時にあらゆる歌や音楽の源初の姿でもある。後世までもいついつまでも歌い続けられる事を心より願う・・。真向法からかなり話しがそれてしまったが身体訓練法に話しを戻したい。この他にお薦めの身体訓練法はグルジェフのムーブメントやシュタイナーのオイリュトミー、スーフィーの旋回舞踏が薦められる。これらはいわゆる神秘主義の中で創造された身体訓練法であり身体を通じて精神の深みに達する事をどれもが目的にしている。特にグルジェフのムーブメントは彼自身の芸術美学の要である客観芸術そのものでありそれ自体が一つ身体表現法である。後は演劇の中で行われてきた身体訓練法を見直しておくとよいであろう、マイケルチェーホフやリーストラスバーク、ルコックのマイムシステムが代表的なものであり舞台人としての基本的な身体性を身に付ける上では効果的なものである。

近代〜現代が創造した様々な身体訓練法を紹介したがここで日本人の身体文化を振り返ってみたいと思う。前述の斎藤孝さんによればかつて日本には腰肚文化と呼ばれる腰と肚に身体の中心感覚をもった身体文化があり現代ではその感覚が大衆の殆んどから失われてしまったという。(上記の身体訓練法はその身体文化のルネッサンスであるのだが大衆レベルで行われたとは言い難い)現代の大衆でその感覚を伝承している人は80歳以上の方であるというが、この腰肚文化がいつ頃成立したかはおそらくは鎌倉や室町時代に遡るものと考えられている。その基本となるものはいわゆる丹田の概念である。中国の道教の身体感を記した修真図や内経図によると下丹田、中丹田、上丹田とあるが日本人が丹田という時の丹田はいわゆる臍下一寸の下丹田の位置を指す。いわゆる臍下丹田である。能、歌舞伎、日舞等の身体性を観察していただくといわゆる中心軸が丹田の辺りにある事がわかる。芸能以外にも相撲、剣道、等の格闘や武術においても丹田を中心とした身体性が重視され、その感覚を自然体などと呼んだのである。

他に日本人の身体文化を考える上で忘れてはならないのが仏教であり、特に禅が重要である。禅と言って皆さんが思い出す事は坐禅であると思う、坐禅は長い時間坐っていなければならないためその坐り方には相当な研究が積み上げられている事がわかる。禅の坐り方には両足を組む結果怖座と片足だけを組む半か怖座とがあるがこれらの座法は元々インドのものであり、その起源は起源前五千年のシバ神の原型となった神の壁画にある。この壁画でこの神がとっている座法が結果怖座である。今、日本でこの直接の座法感覚を輸入しているのは佐保田鶴治さんのハタヨーガやアイアンガーヨガを基にしている、いわゆる沖ヨガである。皆さんはヨーガというと(皆さんにはヨガと呼ぶのが馴染み深いと思うが私は佐保田鶴治さんが言っていたヨーガという表記をとらせて頂く)アクロバティックなポーズを創造なさる方が多いがこういったアクロバティックなヨーガはハタヨーガ以降のものであり、ヨーガの長い歴史からみると比較的新しいものなのである。なぜこのようなアクロバティックな体位が生まれたかには様々な説があるが恐らくは長時間の瞑想にも耐えられる身体性を作るためであるとする説が有力であると思う。私も禅やビィパサナ等の様々な瞑想法を経験し全盛期には一日十二時間以上も座り続け瞑想したものであるが確かに同じ姿勢をとりつづける事は相当につらいものである。そういった事を防ぎ長時間の瞑想にも耐えられる身体性を創造する瞑想への準備段階こそがハタヨーガのアサナなのだと私は解釈している。

話はそれたがそういったハタヨーガより古典的なヨーガにパタンジャリにより記されたヨーガスートラにあるラージャヨーガなのである。そしてラージャヨーガと呼ばれたヨーガのアサナ(身体性)は主に坐法の事を指していたのである。日本の密教の中にユガと呼ばれるものがあるがこれはヨーガの音訳とするのが定説と言われていたり。禅もヨーガの8つの道の一つであるディヤーナ(瞑想)の音訳であると言われている。この禅における瞑想の身体性はラージャヨーガのディヤーナからゴータマブッタが影響を受け、ビィパサナと呼ばれる瞑想法と呼吸法を創造し彼はこの方法により菩提樹のしたでエンライトメント(光明)を得るのである。このビィパサナが代々の僧に伝わりボーディダルマが中国の道教の思想や瞑想に影響を受けて編み出した形を道元や栄西が日本に伝えたものであると思われる。(ボーディダルマも長い瞑想時間に耐える身体を作る方法に足圧えっきん法というマッサージを創造している。)

そして日本の禅を完成させたとされるのが白隠禅師である。彼の創造した内観の法と軟酥の法は今も多くの身体性求道者や呼吸法の求道者を啓発し続けているのである。そして禅の呼吸文化と身体文化は世阿弥、宮本武蔵、三遊亭円朝、茶道、水墨画等にも影響を与え現代でも武術、芸能、芸術の中にその身体文化は継承され続けてきているのであるが残念ながら大衆の中からは消滅されてしまったのである。最後にどのように身体訓練を進めて行くかを記したい。音声表現における重要なポイントは3つである1つは身体性の極意である上虚下実の状態が得られるように鍛練する事。平安時代に後白河法皇によって編纂された梁塵秘抄口伝集には当時の流行り歌である今様等の歌唱法や発声法が説かれている素晴らしい発声理論体系であるがその中にも理想の発声のための身体性に上虚下実の状態が薦められている。2つ目は弛緩と緊張の幅を広げる事である。

寺山修二の天井桟敷出身の高取英氏が主宰のアングラ劇団の月触歌劇団が緊張弛緩という訓練法を行っているがそれなども有効な方法であり高取英氏は空手の有段者らしう空手の身体性をその劇団の身体訓練の基本にしているのが読み取れる(後は高取英氏が漫画評論家のためか漫画的身体性やアニメ的な身体性を役者に対して要求しているように思われる。今もってアングラ的スピリッツのある貴重な劇団である)アングラというのはいわゆるカウンターカルチャーの事であり1960年代後半にアメリカの若者が巻き起こしたムーブメントであり、近代文明や科学に対する疑問やベトナム戦争やアメリカという国に対する疑問から彼等は東洋思想に救いを求めた。彼等はヒッピーと呼ばれコミューンと呼ばれる共同体を作りラブアンドピースを合言葉に音楽を愛した。彼等の文化は日本にも逆輸入され、日本の若者の中にも禅やヨーガ等の精神文化、身体文化が見直される事となった。この時に日本からは鈴木大拙が彼等ヒッピー達に多くの影響を与え、彼等ヒッピーのバイブルともなる名著『ビーヒアナウ』(只菅打坐の意味)を生み出すきっかけも作ったものと思われる。またスタニスラフグロフにも多大な影響を与え、究極の心理学である唯識に最も近付いた近代心理学であるトランスパーソナル心理学を創造する。またインドの神秘家バクアンシュリラジニーシにも多大な影響を与えている。そして後に彼は和尚と信者達に呼ばれるようになるのである。またラジニーシほど禅師の本質を語ったものも珍しい、ラジニーシは社会的には多くの問題で疑問を多くの者に残した事は間違いないだが彼の語った事は単純に詩的美しい。私にとってはそれだけでも十分な価値を持っているものである。ラジニーシ以外にもマハリシマヘーシュヨーギーやハレクリシュナ運動のバクティ・ベーダンタ等もこのヒッピー&フラワームーブメントに多大な影響を与えている。これにより世界中に精神文化がルネッサンスされるのかと思われた!?だがそれは夢と幻に終わった。

その原因を限定するのは極めて難しいが一つはドラック、一つは聖者の堕落であろうカウンターカルチャーの中にはサイケデリックアートと呼ばれるLSDの幻覚を利用して創作される音楽や絵画や文学が生まれた。中でもモンタレーポップフィスティバルやその二年後に行われたウッドストックで注目を浴びたジャニスジョプリンやジミヘンドリックスやドアーズやオーティスレディングやザ・フーはこのムーブメントが創りあげたスターだと言ってよいだろう、しかしこれらのスターの多くはたて続きに死を迎えた・・・ドラックのやりすぎがその原因である・・・人の精神を解放し芸術的な創造性を高めるとされた理想の万能薬と理想の思想は脆くも崩れさったのである・・・。またヒッピームーブメントの悲劇は1969年の12月に行われたオルタモンのコンサートに警備に雇われたヘルズ・エンジェルズが観客の黒人青年を刺殺したり、元ヒッピーのチャールズ・マンソンがビートルズの曲からのインスピレーションで、女優のシャロン・テートらを殺害した事が彼等の理想主義の崩壊に拍車をかけた事は間違いない事である。また彼等の指導者であったラジニーシ教団の崩壊やビートルズがマハリシマヘーシュヨーギーへの不信を抱く等の聖者達への不信観もこのムーブメントを幻へとおいやった原因であるように思う。ただこのカウンターカルチャーが良い意味でも悪い意味でも芸術や文化全体に大きな影響を与え一つの巨大な原動力になった事だけは間違いない事実であり、当時の彼等が思い描いた理想と幻は今も多くの若者に影響を与えている事は間違いないのである・・・。

とまあカウンターカルチャーから話が大分それてしまったが話を身体訓練に戻したい身体訓練で重要な事の1つめは上虚下実。2つめは弛緩と緊張な幅を広げる事だと説明した。3つめに行く前にこれらの身体感覚にさらに一本の糸が天から垂れてきてそれで頭の先を吊され体全体が上に引っ張られる感覚と20世紀最大のテナーの一人のエンリコカルーソーが語ったハイチェストにする身体性も付け加えておく、またこのハイチェストの身体性を同じく20世紀最大のテナーの一人のベニャミノジーリが胸で押す感覚と言った事も付け加えておく。最後の3つめであるがこれは丹田の開発である。これはいわゆる一般的な声楽の腹式呼吸とは違うもう少し精神的な概念を含んだものを指す。今まで多くの身体訓練法を紹介してきたわけだがその多くの要は正に丹田であった事がわかると思う。丹田についてもう少し詳しい説明をするが丹田とはいわゆる西洋的な解剖学によればそんなものは存在しないのである。いわば東洋思想の生み出した精神的な概念だと考えるべきなのである。

最近では丹田を腹筋の事だと勘違いしているものも多くいるがそれは誤りである。丹田呼吸を機械的な腹式呼吸などと一緒にするのはとんでもない誤解である。それが喩え生理的に同じ現象を示していたとしてもそれらを育てた土壌と文化何より精神状態が明らかに違うわけである。この丹田の概念を体得し究極の発声法を創造した一人のある西洋声楽教師T氏について少し話をしたい。T氏はかつて私の師匠であった。そのレッスンは極めて特殊であり丹田を集中する事によって起こる霊的な振動を起こす事から始まる。続いてこの霊的振動を細いが非常に良く閉鎖した声に変えてゆくかのようにゆっくり発声してその声をマスケラで薄く捕えるようにしてゆく、アンザッツでいえばタイプ1に近い声である。基本的には先生のレッスンはこれだけであるがこれだけを身に付けるためにたゆまない訓練を行ってゆくのである。先生は発声に重要なのは丹田と足腰だといつもおっしゃっていた。かつて恐竜はあの大きな体をコントロールするのに頭とお腹の両方に脳があったんだよ。ひょっとすると人間の丹田も第二脳かもしれないとおっしゃっり丹田の重要性を特に重要視なさっていた。その丹田の力から発声される先生の声は正に究極であった。特に高音のアクートは歴代のどの歌手をも超えると先生の他のお弟子さんもその著作の中でおっしゃっていたが私も同感である。私は先生に師事した数ヶ月後に劇団四季の歌唱オーディションに合格したため数回のレッスンしか受けられなかったがその声の素晴らしさは今も私を啓発し続けるのである。しかしやはり先生のやり方は特殊であり誰もを上達させる方法とは言えないと思うのである。それゆえ私自身がその指導で行うのはあくまで生理学的、音響学的な裏付けのあるものを行い、なるだけ生徒に危険がなく、また誰もが確実に上達する方法を選ぶのである。しかし先生の声こそが発声の神髄であり理想の形の一つである事だけは間違いないと私は確信しているのである・・。 

この章では身体訓練法や身体文化について語ってきたわけであるが、最後に皆さんを落とすような事をいうが私は身体訓練に必要以上の価値をもたす発声訓練法はそもそも無価値なものが多いと思っている。あくまでこれらの身体訓練法は補助的な要因に過ぎないという事を覚えておいて頂きたい。少し考えればわかるはずである。ハタヨーガのヨーギーや体操教師や武術家が素晴らしい音声を持っているであろうか?答えはNOである。確かにこういった人は声門下圧が強い人が多いためか声が大きい人は多いようだが自在な歌や自在な音声表現は身体訓練法だけでは決して身に付かないのである。何度も言うが歌い手や音声表現者が他の者達と決定的に違うのはその身体性でもなければ呼吸法でもなく神経支配の良く行き届
いた内外喉頭筋なのである。近年声優教師や演劇教師や一部の声楽教師の多くは身体訓練法だけで声が良くなるとしてそれだけを生徒に行わせる者がいるがこれは無知極まりないのである。こんな事はどんなに頭が悪くても少し考えればそれだけじゃ駄目な事くらいわかるものであるがそれすらも気付かない教師が多いのには驚かされる次第である。私が身体訓練法を時として罵倒するような事を言うのは以上のような無知な教師が多いからである。しかし身体訓練法と身体文化は音声文化とも密接な関係性を持っていた事は間違いない事でもあるのだ矛盾するように聴こえるかもしれないがそうなのである。最後に身体訓練のまとめを載せておく。         

1、まずは緊張と弛緩の幅を拡げる。野口体操のぶら下げや揺すり、月触歌劇団の緊張弛緩がお薦めである。

2、上虚下実の姿勢を会得する事が重要である坐禅や岡田式静坐法の坐法や武術における自然体の獲得が同時に上虚下実の感覚に繋がるものと思う。また斎藤孝先生お薦めの武蔵野身体研究所が開発した上虚下実を体感できる椅子というのもあるらしいので試してみるとよいだろう。

3、丹田を開発するには山登り等をすると良い、また肥田式や調和道丹田呼吸法等で丹田の開発を薦める。その時の注意点は機械的な呼吸法に陥らない事と溝内を固くしない事が重要である。       
4、以上を統合しニュートラルな自然体にする(いわば訓練を忘れる)、そしてあらゆる表現形式や様式の求める身体性に即座に反応出来る自在な身体性を目指す。