構音筋の強化、解放神経伝達とバランスの回復について
構音の訓練は言葉を大事にする役者、声優、ポピュラー歌手には特に重要であるまたドイツリート等子音を強調する言語を歌う歌手にも重要である事はいうまでもない。構音のための筋肉は基本的には3種である。舌、唇、口蓋であるが、これらの筋肉は神経支配が完璧に行き届き、確実に調整された内外喉頭筋から出た音声を多少の加工をするものでしかない、そのため構音筋を鍛えるよりもまず先に内外喉頭筋を調整する事の方が何よりも先に必要な事なのである。
 にも関わらず、演劇教師、声優教師の多くは目先の活舌をよくする発音トレーニングだけを行い、根本的な声の構築(すなわちレジスターの分離と確立と融合)を行う事をしようとしないという事実はまことに残念な現実である。演劇を歴史的に見た時そのほとんどが今言うストレートプレイ(対話劇)よりもどちらかというと歌あり舞踊あり語りありのいわゆるミュージカル形式に近い事がわかる。古代インドの演劇聖典に『ナティヤシャーストラ』というものがあるがそこに記された演劇様式は歌あり舞踊あり語りありのミュージカル形式に近い、そしてそれは現代インドの娯楽映画の中にもその様式と基本的な形は息づいている。(最近は欧米ナイズが進行されてきてやや伝統色が薄れてきている気もするが)中国の京劇や日本の歌舞伎や能、文楽、等も同様であり、古代ギリシャのエウリピデースやアリストパネス、ソポクレスの作品も同様であった。

 しかも古代ギリシャ語においては幅の広い高低アクセントのためその語りがすでに歌に近かったとも推測されており当時の詩人、劇作家は同時に作曲家だったのでは?という推測が立てられており、それはほぼ証明されている。古代インドにしても古代ギリシャにしても我が国日本にしても元来歌に大きな価値とウェイトをおいていたものであるが、それがいつの頃からか話し言葉にその座を奪われる事になる。しかし生理的にも歴史的にも話し言葉とは歌の後にくるものなのである。そのため訓練の仮定においても話し言葉を優先させるのではなく歌声を優先させるべきなのである。人の喉にとって話し言葉とは我々が思っている程自然な行為ではないのである。その事を踏まえた上でレジスターを完全に調整し唇、舌、口蓋への神経支配を行き届かせ構音筋を活発にさせるのなら豊かな言葉の芸術の完成を可能にしてゆく。また様式による違いもあるが西洋クラッシックのようにレガート・カンタービレ、いわゆるレガート唱法を基本とする歌唱においてはフレージングの流れを損なわないように言葉処理を行う事が何よりも重要である。この根本的な問題も実際にはレジスターの調整に大部分が由来するため言葉処理は二次的現象に過ぎない事を付け加えておく。高橋昭五先生(フスラー発声研究家、児童発声研究家)も指摘しているように言葉と声とは現実的には多くの人の声にとって敵対しやすいものである。それを乗り越えるのは極めて骨が折れる作業であるのはいうまでもない、しかしあくまで表面的な言葉の調整が原因ではなくレジスターの調整こそが重要なのだという事を改めて確認しておきたい。             

※日本芸能とその声の歴史            一般的に日本芸能の歴史はアマテラスおおみかみが天野岩戸に閉じ籠ってしまったため世界が暗闇につつまれてしまったのを天野うずめの命が踊りと歌と神々の笑い声で岩戸の外に出す事が始まりだと言われている。この神話はおそらくは世界古代インドや声字実相義でいわれる世界の根本原理の歌(振動)に働きの何らかの異常とそれに働きかける音楽的調和を持った歌(振動)の比喩的表現を意味しているのでは?と私は解釈しているが、こちらは神話的世界の話であり実際の人の声との直接的繋がりは予測しづらい。日本芸能の声の直接的源流は8世紀頃に朝鮮半島から伝来した梵唄にあったとされるこれが日本的な声明に変わり更に民衆的な声の文化と混じりあい祭文や説教節になり日本音声文化の基礎となるのである。その声はいわゆるサビの聴いた声と言われる部類であり生理的には仮声帯がより気味で喉頭室は狭くなりがちで声帯筋はかなりぶ厚く使った声である。歌舞伎、能、狂言、文楽等の現代にも伝承され続けている。古典芸能で使われる声は基本的にはこの流れにある声であると思うが、より詳しくみていこう。

能や狂言は中国から伝わった散楽を起源としておりそれが田楽になり猿楽になり禅的文化と混じりあい能楽は生まれたとされている。また能楽は当時の武士の話法の手本であったとも言われている。能の喉頭の位置は低く暗い発声である。能を創始したとされる世阿弥は禅から多大な影響を受けており、能は禅文化の一つであるわけでもあるのだがそれは能における呼吸の概念からもよく感じる事が出来る。世阿弥の記した演劇書の古典である風姿花伝には少年期から変声期までの声の成長についてこと細かに記されておりその洞察力は素晴らしい、また音曲声出口伝(おんきょくこわだしのくでん)には横の声(おそらくは裏声の事)や主の声(地声の事)などの声の種類や朝起きてからの一日の声の状態の変化を事細かに記してあり現代の声の表現者にも十分に参考になるものである。狂言ではオノマトペが使われるがオノマトペと実際の音はフォルマント(周波数のピークの帯)が近い事から当時の人達の耳の感性がずば抜けて素晴らしかった事が推測される。また狂言も能と同じく喉頭の位置はやや低めである。歌舞伎ではその語りの中にすかし的テクニック(地声から裏声に変える技)がみられ、女形においてはそのセリフの大部分がタイプ5的な裏声が使われている。

 歌舞伎の創始者とされる出雲の阿国は女だったわけであるがそういった所からも歌舞伎が裏声を多用する原因があるのでは?と推測出来る。また出雲の阿国が演じていたとされる踊り念仏宗の存在も興味深い。踊り念仏はいわゆる今でいうミュージカル的なものだと言えると思う。歌舞伎が日本のオペラやミュージカルと称されるわけもなっとくがゆく。

文楽の義太夫節は琵琶盲僧からの影響が強いとされておりそれを小野のお通により発展され浄瑠璃になったものが直接的な起源だと言われている。現代琵琶盲僧は私の知る限りではただ一人、永田法順氏の声を聴く事が出来るがその声はモンゴルのホーミーやトゥバァ共和国のホーメイ等のアルタイ山脈周辺に分布する通称『喉うた』と呼ばれる、倍音唱法に近い発声である事が解る。実際永田法順氏の声からも喉歌のような倍音が強調分離した状態が聴く事が出来る。こういった唱法を土台に義太夫は様々な声の色を使いわけ様々な役や心情を演じわけている。その声は究極の声を持つと言われたT先生もが認める程のものである。義太夫節は日本音声文化が生んだ声の究極形の一つであるといっても良いと思う。特に名人の声にしか宿らないとされる音(おん)の概念は私の音声教育システムの中枢の一つにもなっている概念でもある。そしてこういった様々な日本文化の要素にデロリン祭文や大道芸人や物売りの声等がカクテルされて生まれたより大衆的かつ日本人のDNAに最もフィットしたのが桃中軒雲右衛門が創始した浪花節であろう。後にこの浪花節的唱法はミルクブラザーズやあきれたボーイズの川田晴久によって受け継がれ欧米的音声感覚との見事なクロスオーバーがなされ、その音声感覚は美空ひばりへと受け継がれてゆくのであるがそれはまた別の機会に話す事とする。
    
日本も明治に入ると西洋の演劇を輸入しだすわけであるが川上音二朗一座のパリ万博での録音を聴くと当時の彼らがどのように西洋演劇を学んでいたのかのその一部を聴く事が出来る。またこのパリ万博における川上音二朗一座の声が日本音声文化として今のところ聴く事の出来る最古の音源である(1900年の録音)川上音二朗は自由民権運動を演劇的に宣伝しようとしたとされる新派劇に分類される。また彼はオッペケペー節を流行らせた、このオッペケペー節こそ後に日本人の流行歌の主流となる演歌という名をつけられた第1号の歌である。演歌とは元々は演説の歌を指していたのであるのである。しかしこの時の演歌はまだまだ今のような形ではない、今のような形になるのには古賀正男と美空ひばりの存在をまたねばならないのである・・・。話は飛んだが川上は日本に初めてシェイクスピア劇を輸入したが本格的な輸入を行ったのはむしろ新劇の方である。新劇は演劇史的にみて一般に7期に分けられているが、ここでは更に大雑把にみていく事にする。その最初の期は文芸協会と自由劇場である。(自由劇場を創始した市川左団次と劇団四季主宰の浅利慶太は親類関係にあたっている。近年劇団四季は自由劇場と同名の劇場を創設したわけだがおそらくは自身の劇団が新劇の正当な血筋を引いている事のアピールではないか?と思っている。それが証拠にかつての自由劇場のシンボルであるブドウを浅利慶太氏もそのまま使用している。)文芸協会の島村胞月は後に独立し芸術座を旗揚げするわけであるがその芸術座から誕生した松井須磨子こそ西洋的な演劇概念における最初の本格的な女優であったと言われている。その語りの音源は残念ながら私の手元にはなく、(桐朋の演劇科の教授に相談してみたところ現存していないのではないかという事である)彼女の歌っている録音のみ手元にある。

 現代的な流行歌の第一号といわれる中山晋平が作曲した『カチューシャの歌』を彼女が歌ったものである。これを聴く限りお世辞にも歌が上手いとは言えずむしろ下手くそなのであるが、役者的な妙な味わいがあると思うのは私だけであろうか・・?役者の歌というのははっきり言って殆んどの場合下手くそである。だがとにかく作品にしよう、人に伝えようとするせいなのか?なんともいえない独特の味わいがあるのである。もちろん中にはオーソドックスに上手い人もいれば、本当に何も伝わらない程度に下手な人もいる。役者の歌の特徴は言葉を立たせようとするためか必要以上にぶつ切りな音節歌唱的になる所とセリフで胸声を強調しすぎるために胸声が重くなりファルセットが壊れ気味になって上に抜けずらくなってしまう所である。良い点としては閉鎖が発達しているため音量と声のとおりは良い。しかし伸展筋は逆に衰弱状態にあるため慢性フラット気味になりがちとなる。

こういった状態は新劇系、小劇場系を問わず大部分の役者に言える事である。またまた話がいきなりそれてしまったが関東大震災の翌年になると築地小劇場が旗揚げされ後に分裂し左翼演劇時代に入り左翼イデオロギーを表現するプロレタリア演劇一色となるが満州事変の影響から脚本検問が強化され左翼演劇は急速に荒廃してゆくのである。そして太平洋戦争の頃になると現代の新劇の代表格となる文学座や俳優座の前身となる芙蓉隊が現れたが戦時中は活動が厳しく、彼等は移動演劇により辛うじて活動していたようだ。戦後俳優座、民芸、文学座は三大劇団と称されるようになりその他にもスタニスラフスキーシステムの研究に力をいれた、ぶどうの会等も目覚ましい活動をしていたのである。彼等は1960年代後半に起こる小劇場運動頃まで黄金期が続くといえる。こうした新劇系の役者の声はいわゆる西洋声楽の発声に近く喉頭の位置は低めのロウラリンクスでありファルセット成分も多く含む響きのあるいわゆる良い声である。

新劇界ではこうした音声を劇的音声とか統一音声と呼び演劇表現には必要不可欠のものしたのである。この音声訓練システムをものいう術と称し体系化した人物は俳優座創始者の千田是也氏であるわけだが新劇のそもそもの失敗は声を西洋化するところにあったような気がしてならない新劇の大衆離れやオペラの大衆離れは日本人の音声の特色を考えずにやみくもに西洋の音声価値をありがたがった事も大きな理由の一つである気がするのである。事実後に演劇界でも新劇の西洋被れ的音声美学や新劇全体に対するアンチ運動ともいうべき小劇場運動が起こったのである。その先駆けはぶどうの会出身の竹内敏晴率いる演劇集団変身や唐十郎の状況劇場、寺山修二の天井桟敷、佐藤信の劇団自由劇場、鈴木忠の早稲田小劇場等である彼等の特徴を簡略化して言うならセリフ、身体性、音声を西洋の借り物でない自分達からの出発自分達からの出発であるという事が出来ると思う。彼等のそれはまだまだ実験色が強いものであったがそのアバンギャルドな色彩は今も多くの支持を集めているのである。身体性は土方巽や大野一雄が創始した暗黒舞踏からの影響もあり極めて自由かつ自在な身体表現が行われるようになり音声も自分達本来の肉声に近いものでセリフが語られるようになったがいわゆるメッセージ性が強いものが多いためか早口で叫ぶような音声表現が多くみられるようになったこれは第二世代と言われるつかこうへい氏に継承され発展するこの音声の特徴は腹直筋を緊張させ声帯筋もかなり分厚く使うものである声門閉鎖もきつく良く通る音声ではあるが声にはかなり負担がかかるものである。第一世代、第二世代がアングラ的な暗い陰をどこかで背負っていたのに対し、第三世代の野田秀樹氏や鴻上尚治氏はどこかポップな印象を与えるもので身体性もより激しいものとなる。

 音声もやはり早口が多く野田氏の声等はアンザッツタイプ1に近くハイラリンクスである声門閉鎖は強い、鴻上氏は野口体操のルネッサンスや声の大切さを失いかけた俳優達に対して独自の発声理論を書にまとめた事は良い傾向であると思う、しかし鴻上氏も本当に価値のある発声メソードを知らなかった事は残念な事である。その著書で描かれた方法の基盤はいわば19世紀にマヌエルガルシアJr.によって創られたイカサマメソードだったわけであるのだから・・・。そして小劇場は第4世代に入り大人計画の松尾スズキ氏やキャラメルボックスの成井豊氏が活躍しているのである。小劇場系の声という事を見渡してみると年々声に対する意識が低下しているように感じるのである。新劇系の声が良いか悪いかは別として声に対する意識は明らかに彼等の方があったと思う。ただ彼等の失敗は良い声の基準を画一化してしまったところにあり、同時に西洋的な声の価値観に絶対的な基準を置いてしまったところにあるように思うのである。対して小劇場系は声に対して様々な価値を認める代わりに声を訓練し可能性を拡げるという大事な点がうやむやになってしまったように感じるのである。例えば私がある舞台で一緒になった役者に私が発声訓練とかはなさりますか?と聴いたところ「特別にはしませんね、あーでも俺毎日飲みに行きますし、その時に大声出してるからその時に訓練されてるかも!」私はこれを聴いて唖然とした仮にも某有名劇団のプロの役者がこれであるわけである。またこれ以外にも役者の方から声を軽視する意見を私は何度も耳にしているし、役者の中に発声訓練無用論を唱えるものも少なくない。だが断言するが役者とは対話表現者であり、言葉の表現者である。そして言葉の源は声であるわけである当然声が内声(心)のままに自在に動く事が要求されてくるのである。

我々の声は普通極めて不自由であり慢性的な衰弱状態にあるのが普通である。それゆえ内声(心)でそれだけの表現が描けても声が自由に動いてくれないばっかりに凡夫な表現に陥ってしまう事もよくあるのである。発声訓練の本質はあくまで内声に併せた自在な声を創始する事にある。内声を切り離したよそ行きの声やある一つの声の美学に自分の声を併せるのもその本来の目的から外れるものである。そういうのは伝統芸の人達に任しておけばよい(伝統芸能や西洋のクラッシックは確かに画一的な声の美学や基準がありそれに併せて声を創りこんでいかねばならないのだが、それとて自在性を無くす創りこみであるならば声は速やかに崩壊するものである)この本を読んでいる俳優の方はもう一度声の重要性についてよく考えて頂きたい、そして真の発声訓練は発声訓練無用論者が唱えるように心がない創られた声を創るものなどでは決してなく人の喉に与えられた様々な可能性を切り開くものなのである。そして音声が解放される事により内声(心)や身体性や息も解放されるのである。俳優は内声(心)と身体と息と音声とで成り立っている。俳優達の多くは内声と身体ばかりを指摘するのであるがこのどれか一つ欠けても俳優としての全体性を形成する事は出来ないと私は思う。俳優はその職業柄ホリスティック(全体的、統合的)なものの見方が出来る方が多いのだから後一歩視点を拡げ、音声に対しても深い感心と興味を抱くことがこれからの演劇文化をより豊かにしていくものと私は思うのである。