呼吸筋の強化、解放神経伝達とバランスの回復について
 声を取り扱う分野において呼吸法程、混沌とした状況にあるものはないといってよいだろう、ただ一言でまとめるなら呼吸法より内外喉頭筋の神経支配と筋緊張を取り戻す事の方が遥かに重要だという事だ!少なくとも生理的、音響的にみるならばそうであり、発声訓練の歴史を振り返ってみてもそうだ!呼吸法が西洋の発声訓練史の中で重要とされたのはおそらくはマヌエルガルシア以降の事であり十九世紀の後半〜である。長い発声訓練の歴史からみればたかだか百年程度、ついこの間の事なのである。他にマリアチェルローニの「歌は呼吸が全てです」という発言やクレシェンティーニの声を「息の流れにのせて歌う」とするいわゆる呼気上歌唱の概念も世界中に多大な影響を与えた事も間違いないように思う。西洋声楽の世界のみならず、伝統的なイランのタハリール唱法や南インドのカルナティック唱法、等でも喉頭筋のコントロールを主に考えているように思う、にも関わらず現代では世界規模で呼吸法にこそ声を目覚めさせる全てがあるとする考えが出回っているのである!これにははっきり言っておきたいが全てデタラメである!もしインチキ音楽学校で呼吸法や体力訓練ばかりやらされているとしたら早急にやめるばかりである!少し冷静になって考えればわかると思うが体力があるだけならアストリートや格闘家の方が歌い手よりも遥かに上である。呼吸機能が開発されているという点においても水泳選手や呼吸法の先生、ヨーギー(ヨーガの行者)は非常に良く開発されているのである。にも関わらず、彼等の声が解放されているかと言えば答えはNOである。もちろん個人さがあるため先天的に声が解放されてるものがたまたまアストリートや呼吸法教師になる場合もあるだろうが、呼吸機能が開発されたものが発声機能が開発されたものとイコールでない事は紛れもない事実なのである。

 歌い手を始め多くの音声表現者が常人と明らかに違う点は体力があるからでも呼吸機能が発達しているからでもない、それは内外喉頭筋が衰弱しておらず、繊細な神経支配が行き届いている点のみに尽きるといってもよい、それと同時に全身、全呼吸機能が内外喉頭筋と協調性を保っているという事こそが音声表現者と常人とを分ける決定的な違いなのである。呼吸法に関する悪口を大分言ってしまったが呼吸法に意味がないわけではない、矛盾するように聴こえるかもしれないが声にとって重要な役割を演じている事も紛れもない事実である。呼吸法の役目は声を出すための必要な空気の供給と声帯を伸展させる筋肉である輪状甲状筋と喉頭懸垂機構のサポートにあるといえるいってよいだろう、呼吸法とは声にとってそれ以上でもそれ以下でもないのである。また想像性と創造性や脳力のサポートといった側面に対しても呼吸法は役立つといえよう、ご存知の通り呼吸法は世界中の宗教や神秘主義において重要なポジションを与えられてきており、世界中に様々な想像性と創造性を高め霊性を高めるメソードとしての呼吸法が存在している。古典的なものではインドのヨーガのプラーナヤマや道教の呼吸法、ラコタスー族のサンダンス、太極拳、気功法、道教の呼吸法、禅の呼吸法、禅から派生した数息観や白隠禅師の内観の法、軟蘇の法、ゴータマブッタのビィパサナ、古神道の息吹永世や近代的なものではホリスティック医学のワイル博士の呼吸法、西野流呼吸法、アレキサンダーテクニークの呼吸法、マリアの呼吸法、藤田霊斉による調和道丹田呼吸法やトランスパーソナル心理学のスタニスラフグロフのホロトロピック・ブレスワーク等があり、音声表現のために考案された呼吸法にはパウル・ブルンス式自由呼吸、アルミーン式せきとめ法、レオコフラーの呼吸法、スンドベルィがまとめた腹入れの作術、腹出しの作術やカルーソーの呼吸法、チェザリーのブリージングエクササイズ、ドックズブレス等があると言える。ざっと見回しただけで混沌とした感じがある事が解ると思う、私は呼吸法は精神性を研くためのメソードとしては素晴らしいと思うが、声を発達させるメソードとしてはあくまでサポート的な側面しか持っていないとするのが基本的な考えだ。具体的には全呼吸機能を訓練の中で活発化させた上で後は自然の流れに任せてやればよい何も特別に意識してやる必要はないとするのが私の考えだし、実際真の名人は表現の最中に呼吸法など意識していないだろう、呼吸機能は基本的には自立神経に支配されているものである。呼吸機能をある程度活発化させたのなら後は自立神経の自然な流れに任せてやれば後はうまく身体がやってくれるのである。

  少し呼吸の生理についてもふれておきたい、主な呼吸筋は呼吸の足場枠を形成し喉頭懸垂機構と共に内喉頭筋の支えとなる。脊椎伸筋、下部の腹筋、骨盤を前方へ回す臀筋があり、呼気筋として外斜腹筋、胸横筋、内肋間筋、横隔膜の始動部と付随している背筋(インプルス)がある。インプルスは特に重要な場所であり、卓越した歌い手の多くは背中で歌うと言っているくらいである。吸気筋には外肋間筋や横隔膜がある。横隔膜は筋緊張性呼吸調整という機能をもっており、横隔膜は呼気の後でまったく自動的に吸気に結びつくのである。この事からも過度の呼吸への意識は無用である事が解ると思う、間違っても腹壁の上部を固くして横隔膜を固くしてはならない、そのやり方はイタリアのベリズモオペラやドイツのシュプレッヒゲザング(語るごとき歌唱)から始まったとされている。日本でも義太夫節などでは腹帯を巻いて同様の効果を得ようとしているようだが真の上虚下実を体得したものであるならば上部腹壁も柔軟性をおびたままに保つ事が出来るものである。

また横隔膜は基本的には吸気筋でありながら呼気時にも対抗運動をし吸気傾向を捨てることなく、呼気の過度の流出を防ぐのである。横隔膜は積極的な緊張は発声しているあいだに減少してゆくがトーヌス(張力的緊張)は高まってゆくのである。これらも自動的に生じるのであって意図的にやる必要はまったくないのである。こういった様々な呼吸機能が正常な状態に目覚めてくると昔のイタリア流派が「アッポジアーレ・ラ・ボーチェ」と呼ぶ支えの概念が生まれてくる。この概念こそ呼吸機能全体の活動と内外喉頭筋が関連性を得た状態を見事に言い表していると言えよう。この状態を得たらfrcの圧縮法や生理的に正しい声門下圧も同時に生まれてきている事と思うのである。

スウェーデンの音響音声学者であるスンドベルィ氏も言っている事だが呼吸のメソードは正に歌い手によってそれぞれのやり方があり、まったく違っている。彼いわく生理的に余程別無理な事をしない限りは別にどれでも良いとの事である。これは別に投遣り等ではなく事実そうだからである。重要なのは内外喉頭筋との協調作用だという事だ。そして歌唱時及び発声時に呼吸法が乱れるのは呼吸法のせいではなく大部分の場合、内外喉頭筋に乱れが生じているのである。レジスターとプレイシングザボイスのタイプのバランスを調整してやる事によりそれらは機能するようになり、同時に呼吸法からも乱れが取り除かれるのである。

 呼吸は古代より霊魂そのものだと考えられてきた。それゆえ世界の宗教及び神秘主義において呼吸は最も重要な根源的なものとされてきた。古代〜現代における瞑想テクニックは呼吸のテクニックであったと言い換えてしまっても決して大袈裟ではないと私は思う。呼吸はそれほど人間の精神や身体と密接な関係を持ったものと言ってもよいだろう、それゆえ神秘思想において調身、調息、調身とは表裏一体だったのだと私は思う。もしこうした息の文化的側面を現代人である我々が忘れないでいれるのなら呼吸法は常に我々に対し無限の想像と創造を与え続けてくれる事であろう・・・だが我々が呼吸法を単なる健康法や生理的現象としか捉えられないのであれば、それらは古代にあった精神的力を失い、我々になんの想像性や創造性をも与えてくれなくなるのではないかと思うのである。近年インダス文明からの五千年の伝統を誇るヨーガがアメリカナイズされ、その偉大なる精神性と原動力を失いつつあるように思う・・・もちろん多くの人がヨーガにふれてくれるのは良い傾向ではある。だが何でもかんでも商業的にし核となる創造性が失われてゆくのだとしたらこれ程悲しい事はない・・・日本は息の文化に恵まれた国である。茶道でも書でも剣でも武術でも古典芸能でも禅や仏教の息の文化の影響を受けており、大衆レベルで息の文化を継承しつづけてきた国だといえよう。斎藤孝氏はこれを身体文化として腰肚文化と命名したが、日本はそれほどまでに息の文化を愛してきたのである。今では息の文化は失われつつある・・・声を語る時に生理的にテクニック的な側面から呼吸法こそ全てというのには反対だが、かつての日本人のように腰や肚に魂を宿し、息を生命そのものと讃えそれを声に宿した上で、その声を音(おん)と呼ぶのであれば、私は息こそ全てであると言いたい・・・そして生きることとは息ることであると言いたいのである・・・。