外喉頭筋群の強化、解放、神経伝達とバランスの回復について
外喉頭筋とは喉頭を懸垂する筋肉群であり、俗に喉頭懸垂機構と呼ばれている。主なものに前方引き上げ筋の甲状舌骨筋、後方引き上げ筋の口蓋喉頭筋、茎状咽頭筋や前方引き下げ筋の胸骨甲状筋、後方引き下げ筋の輪状咽頭筋があり喉頭を四方向に懸垂し、弾力性の足場を形成している。これらの筋肉群の影響と前筋の影響を受ける事により始めて自力では働く事の出来ない声帯靭帯が伸展され声帯の縁もピンと張る事が出来るのであり、同時に声帯筋も自在な働きを取り戻す事が出来るのである。これらの懸垂機構の筋肉群もそれぞれ筋肉を働かせた時に生じる特有の音色を強調する事によりそれぞれの筋肉も強調し働かせる事が可能である。これを七つのタイプに分けたものをプレイシングザボイス及びアンザッツタイプと呼ぶ、以下は私の特別レッスンにも御参加下さった高橋昭五先生(『それは裏声だった』著者、フスラー発声研究者、児童発声研究者)の解釈によるアンザッツタイプである。

・タイプ1        コロラトゥーラソプラノやフラメンコで聞かれる声で、声を上下の門歯の先端に当てる様に発声した声。喉頭の位置は高くなり声は前に出るが、他の機能との協力がない限り音量は少なく音色は浅い。この歌い方ばかりを長く続けるとトレモロの原因になる。 

・タイプ2        胸骨甲状筋を働かせて喉頭を下方へ固定し、胸頭の上端に振動を感じるようになった声。イタリア流派の最も好む声。 

タイプ3a        地声の声区で声を鼻根部へ当てる様に発声した声。声帯は全長全幅で振動。充実した胸声。ただし、この歌い方だけを極端に多用すると、ある種の胸っぽい声や過度に金属的な声、或いは鼻に掛った声になり、高音発声が不能になる。バス歌手の深い声    

タイプ3b        柔らかい地声で声を上顎や硬口蓋前部へ当てる様に発声した声。イタリア流派の言うメッザボーチェ

タイプ4          裏声の声区で喉頭を低く保つようにし、声の響きを頭頂部ないしは軟口蓋上部に感じる様になった声。純粋な頭声。   

タイプ5          支えのあるファルセットと言われる声。タイプ4とは異なり喉頭は上昇している

タイプ6          輪状咽頭筋を働かせて喉頭を最下後方(食道上端)に固定し項(うなじ)に振動を感じる歌い方。声は美しくよく通り豊かである。充実した頭声。

    以上の七つのタイプを訓練する事で内外喉頭筋の神経支配は完璧なものとなり弾力的な足場枠が本来の働きを行い声帯筋は本来の活力を取り戻す事に成功するのであるのであるが、もう少し具体的に説明して行きたいと思う、まずは皆さん自身の声のタイプを聴き分け、どのタイプに偏っているのかを判断する事が重要になる。またどのタイプやどういった筋肉への神経支配や筋緊張が足りないかもよく聴き分ける事が重要になってくる。具体的によくある声としたは痩せた声や息漏れの多い声、重たい声等は声を生理的にみた場合あまり健康的なものとは言い難い、痩せた声の場合は主に声帯筋の働きが乏しい場合が多いためタイプ3aやタイプ2の比較的深めのタイプを訓練してあげると良い結果を生みやすい、タイプ3aは胸声(地声)の時に主体となる声帯筋が活発に働き深い響きのある声を得る事が出来る新劇の俳優等はこのタイプの声のものが多いタイプ2も喉頭が胸骨甲状筋によって低い位置に置かれるため深く安定した響きが得られる。この胸骨甲状筋は声帯靭帯を引っ張る時の重要な支え的な役目をするものであるため非常に重要な働きをしている。だがこれらの深い音色に頼り過ぎるとファルセット(裏声)機能を失いやすくなるため3bも併せて訓練する事により声が重くなったりファルセット機能の劣化を防ぐ事が出来ると思う。息漏れの多い声においてはタイプ1の訓練が有効であるタイプ1は甲状舌骨筋により喉頭が引き上げられる事により声門閉鎖が非常に良い状態になる。そのため声は細いが良く通り一本芯が通ったような感じを生み出す、小劇場系の俳優にこのタイプは以外にも多いような気がする。その理由としてはおそらくは言葉の情報を伝達するだけであればこのタイプが明らかにはっきりした音声になるからである。俗にいう最も活舌の良い状態が得られるが他のタイプの働きがなければ機械的な印象や冷たい印象、もしくは三枚目的な印象を与えてしまうであろう。また日本の初期の頃のアナウンサーの声もこのタイプが多かったような気がする。歌の方でも日本の初期の頃の声楽家や流行歌手もこの系統に極めて近い、浅草オペラの花形スターであった田谷力三さん辺りは明らかにこのタイプに近かったようだし藤山一郎さんや灰田勝彦さんもこのタイプに近い声であったこの声は良く通るしファルセット(裏声)傾向の特色も持っているため高音も出しやすく声域も広くとりやすいのだが音色がいわゆる三枚目的であるのと強調しすぎるとトレモロになる場合がある。トレモロは声にかかる細かい揺れでありエルビィス・プレスリーやマドンナ、ジョーンバエス、宇多田ヒカルや中島みゆき等の声から聴きとる事が出来るがポピュラーやジャズではよく聴く事の出来る声の動きのタイプである。西洋声楽ではこの声の動きは不健康かつ美的によくないものとされているが古い録音の歌い手の中にはこの類の声の動きをもった歌い手が意外に多い、特にコロナトゥーラソプラノに多いがメゾソプラノやテノールにもこの種の声の動きをもったものもいる。だがそれでもこの声の動きは西洋古典声楽ではとことん敬遠され続けた声であるがポピュラーやジャズでは逆にその声の動きが魅力的だったりするわけで私の生徒のハードロックシンガーの方はフレーズの終わりにわざとトレモロチックな声の動きを出したりするわけで美的な面からいみればいちがいに悪い発声ともいえないのである。しかしこの声の動きが慢性的につくようであればそれは生理的にみて偏った筋肉の使い方であり、それは同時に声の自由と自在さを奪うものとなるそれゆえにタイプ1だけに偏るのはよくないと言われるのである。

  重たい声はタイプ2やタイプ3aに偏っている場合が多く胸声区(地声)が強くなりすぎてファルセット機能が乏しくなってしまっている場合が多い、この類の声も美的にみればいちがいに悪いとはいえないが生理的には声の自由と自在さを奪う事は間違いないと思う。そのためこの声も偏りを調整する必要がある。特にファルセット機能が低下しているわけだから比較的純粋なファルセットを使い早く転がすような感じで訓練してあげると声に機敏性と潤いが回復してくる。純粋なファルセットの見極め方であるが、その特徴としてビブラート等の声の動きが殆んどない声である事があげられる。ビブラートや声の動きは一つの声区(地声や裏声)では生み出す事が出来ず、他の声区と結びつく事によってしか生みだす事が出来ないからである。そのため純粋なファルセットの条件としてノンビブラートの声がまずあげられる。また呼気の量が多すぎたり、喉頭の位置が高すぎたり低すぎたりしてもファルセットの純粋性は維持しづらくなってくるので音量を抑え喉頭位置はやや低めかミディアムラリンクスにしておくのがベターだと思う。(ミディアム・ラリンクスとは喉頭の位置を表す用語で近年欧米のポピュラーの発声現場でよく使用されている用語であるミディアムは中位でラリンクスの訳は喉頭である。他に喉頭が高い位置にある事をハイ・ラリンクスといいタイプ1やタイプ3bやタイプ5に相当する。また低い位置にある喉頭をロウ・ラリンクスと呼び、タイプ2やタイプ3aタイプ4やタイプ6がこれにあたる)こうして純粋なファルセットを出す事により声の重さは削減されてゆく、この訓練時は場合によっては胸声(地声)の使用や過度の強調は控えた方が良いだがあまりに胸声を使用しなさすぎると今度は声帯筋の筋緊張が失われ痩せた声になってしまう可能性も考えられる。そのため教師はその辺りを考慮しながら胸声の練習も適度に入れて行くのがベターであると思う。また重い声の多くは声帯が開きすぎてしまい閉鎖が弱くなっている場合が多い、そのためタイプ1やタイプ5を使用し声門閉鎖を強くしてやる事も重要である。タイプ5は甲状舌骨筋の働きで喉頭の位置はハイラリンクスになりそれに併せて声門閉鎖も強まる。声区はファルセットであるがいわゆるガバガバのファルセットではなく支えのある一本芯の通ったファルセットである。このタイプは水木しげる先生のゲゲゲの鬼太郎の目玉の親父や腹話術師や京劇俳優の声等の声から聴く事が出来るタイプであるが17世紀〜18世紀のイタリアベルカント黄金時代にこのタイプはファリンジルボイス(おそらくはボーチェディフィンテやボーチェディゴラと同質の声を指す)と呼ばれ声を訓練する上で大変重宝されていたとされている。この声はファルセットであるが胸声的な特徴も多く含んでおりファルセットと胸声とを繋ぐ機能を持っていると考えられる。いわゆる当時のイタリア流派はこの機能をイルポンティチェルロ(小さな架け橋)と呼んだ。しかしこの音質は多少滑稽なためかある時から老婆の声等と毛嫌いされだしある時より訓練の場から姿を消す事になるのである。この音質に代わり声区の境を埋める方策として現れたのがデックングやジラーレ、キューゾと呼ばれる暗い母音で声を暗くする事により声のひっくり返りを防ぐ技法であるが臭いものには蓋をしろ的な発想であり根本的な解決は何もされていないいわば誤魔化しの方法としか私には思えない、いかにも近代的、現代的な方法だと思うのは皮肉であろうか?まあ話はそれたがこういった順序で訓練していけば重たい声もそのバランスを取り戻せるものと思う。声の問題は各自様々ではあるがどんな声であっても多少の筋肉の偏りはあって当たり前である。それは結局のところ各個人の音声美学に由来する。そもそも人の話声すらもその人の美学や日常的な習慣や親からの影響などが強い、そのため歌声ともなるとかなりの確率でその人の音声美学に由来しているのである。その美学の根には大概その表現者の教師か憧れの歌い手や表現者の影響による部分が潜んでいる。それはあるタイプのアンザッツを育てるという意味において良い事でもあるが同時に偏りも存在している。このアンザッツ訓練法ではそういった筋肉の偏りをなくすのが目的であるがその究極目標は美学の偏りの修正をも目指すべきである。それはジャンルや民族の垣根をも超えるものでなければならないと私は思っている。特に近年の美学問題では西洋クラッシック音楽の芸術至上主義ばかりが叩かれているがポップス愛好家やロック愛好家もジャズ愛好家も古典音楽に対する偏見やれっとうかんがないとは言い切れない。またワールドミュージックや民族音楽の文化相対主義はその対極にある西洋クラッシック音楽と戦ってきたという感じが歪めない。音楽に国境や差別はないと綺麗事が良く吐かれるがそんな事はない音楽の世界こそ国境や差別の巣窟である!!しかし未来に期待される真に豊かな音楽文化や音声文化はこういったジャンルや国境の垣根を飛び越えてこそ創造されるのだと私は思う。
 
そして私達の目指す真の声の自在性も音楽美学や音声美学の自在性の上にしか成り立たないものではないかと思うのである。多くの人は音楽に理想や甘い夢を抱いているが今や音楽は芸術至上主義の安いプライドと文化相対主義と商業主義にズタズタに解体されその真の呪術性や原動力を失いつつあるように思えてならない、こういった状態は永遠に続くものである。全ての人間にその美学の多彩さを持たす事は不可能だからだ、そしてそれは一つの理想主義に他ならない人にはやはり好みとどうしても生理的に受け付けないものもある。しかし音楽文化しいては文化に対する偏見や差別はあってはならないと私は思うのである。他の文化を理解できない事は文化から文化へのある種の虐待がそこにあるように思えてならない、知識は所詮は説明以外の何ものでもなく真理そのものではない、しかしより多くの音声文化や音楽文化を知り、少しでも音声や音楽の真理に私を始め多くの人が近付けたらと思うのである。それは間違いなく私達の人生を豊かにし声を豊かにしている。