オルフェ音楽教室の名前の由来

オルフェ音楽教室の名前の由来はギリシャ神話に登場する音楽の神アポロと芸術の女神ムーサ(英語名はミューズ)の息子で古今東西最高の歌い手といわれるオルフェオからとらせて頂きました。(オルフェオの神話は様々な伝承があり、河の神とムーサの息子という伝承も広くしれわたっています。)
オルフェオはその神話の中で人ばかりでなく動物や木々や草花等の植物、岩や砂等の自然物、冥界の神ハーデスにまでその歌で感動を与えています。世界は歌で満ち溢れています・・・。

歌い手達は文字通り歌い、器楽奏者や指揮者も一流の方々は皆「歌心」があり演奏中歌っています。これは感覚的にもそうですが、実際演奏中の彼等の声帯の動きをみると振動していることが確認できます。いわゆる声帯の自発振動です。そして植物や動物の自然界も魚や貝や海草達の住む海も星々や惑星のマクロコスモスの世界も細胞レベルや量子世界でも歌は満ち溢れています。これらも決して比喩ではなく、近年の科学の発達で解明されています。宇宙にある、あらゆる物質は固有振動をもっており、ある種の音を発しています。科学者達はこれを「歌う」と表現しています。この類の理論を最初に唱えたので最も有名なのは古代ギリシャの哲学者ピュタゴラスの「天球の和声」の理論でしょう。(最も古いのはベータのサブダブラフマンの思想であるように思われる。これについては後ほどとりあげる)彼は言う「宇宙は、惑星は星々は歌う!」と・・・。これに続き後にケプラーが論文でゲーテが詩の中でこういった内容を表現しましたが当時の人々も比喩的にしか受取りませんでした。

しかし現代科学的は世界のあらゆる物質が歌を歌っている事が今や常識となりつつあります。最新の量子論のスーパーストリングス理論においても全ての物質の最小単位となる量子世界においてもヒモ状の物質が振動し、ある種の音を発していることが証明されつつあります。彼らもこの事を「歌う」と表現しています。      
この思想を更なる大古に遡ると古代インドの精神哲学とインド古典音楽の基本思想となるシャブダブラフマン(ブラフマンの音声)に辿りつきます。すなわち世界は音声であり音声から世界が創造されたとする思想です。

聖書にも「初めに言葉があった・・・言葉が神であった・・・」(言葉とは声であり音である)とあるようにこういった思想は世界の至る所に世界の創成神話としてあります。こうした神話も比喩ではなかった事が最新の量子論により解明されつつあるのです。すならわち世界を形創る根本的場が歌で満ち溢れているという事を。現在、アメリカを中心に発達している音楽療法もこういった物質自身の歌に働きかける事で細胞及び精神に調和をもたせる行為であると考えられます。 

こういった音楽療法の起源は古代の呪術やシャーマニズムに遡ると言われています。ラテン語の「cantare」は今でこそ「歌う」と訳されますが、元来は魔法をかける、呪術を行うといった意味でした。そして詩人、歌い手、呪術師は同一の語源へと辿りつきます。これはラテン語に限らず多くの言語でも同様の事が確認できます。声の音源となる部分にある喉頭のもっとも大きい軟骨である甲状軟骨が東洋で「のど仏」、西洋で「アダムのリンゴ」と呼ばれ宗教的意味合いを持つことからも歌と呪術や歌と精神世界の関係は歴史的にみても深い事が容易に推測できます。西洋音楽の直接起源が「グレゴリオ聖歌」であり、日本音楽の起源が仏教音楽の「声明」さらに辿れば古代インド、バラモン教のベーダの朗唱にあることを見てもこの関係性の深さを推測するには十分過ぎるでしょう。(音楽や歌の起源には様々な説があり、クルトザックスの理論やアランロマックスのカントメトリックシステム等で様々な試みがされていますが確かな答えが出ていないのが現状のようです)

ただ喉頭の生理学構造から推測すると言葉以前に歌があった事は容易に推測できます。人の喉頭の源初の役目は肺に食物が侵入するのを防ぐためにあり、次の段階として歌があり、最後に社会的コミュニケーションを行う言葉という順になるものと思われます。現代人の認識はこの逆にあるように思われますが真実はまったくその逆なのです。歌や音楽の役割もそうです。現代社会では、カラオケ等の娯楽や商業音楽に始まり自己表現や芸術表現としての認識しか私達にはありませんが、エスキモーやベッダ族等の自然な生活を営む人達の歌は生活と密接化していて生きるため、すなわち狩りや漁を円滑にするための掛け声などがそのまま歌や音楽的になっていることがわかります。)                 

ギリシャ神話のオルフェオやセイレーン聖書のダビデ、カストラートのファリネッリ、北インド古典声楽の神ミューンタンセンとその師スワミハリダース等彼等は皆声や音楽の力で人々や自然に源初的活力を取り戻させたのです。全ての物質は振動し歌っています。そういった歌の源初性を再確認し真に活力のある音を奏で歌い続けたいものです・・・。

私達はこういった原動力的自然哲学や東洋や古代ギリシャの芸術哲学を基に音響学(サウンドビーム理論)生理学(プレイシングザボイス理論)的側面、十七、十八世紀のイタリアの発声訓練メソード、民族音楽学やワールドミュージック的な考え、野口体操やヨーガ等の身体訓練法、禅やビパサナ等の脳力開発法、精神の絵画法、聴覚セラピー等を統合し、関連性を持たせ、あらゆる歌唱表現、音声表現、音楽表現(器楽演奏を含む、この器楽の基礎に声楽をおく理論は古代インドに由来する)芸術表現を創造する基礎を固める音(オン)教育システムを創造しました。

この教育の中でもっとも重要な事は「聴く力」を育てる事であり「開けた耳」(これは単に音に対する記憶力の深さや鋭敏さということだけでなくあらゆるジャンルの音に対する開けた感性や開けた美学の形成を意味している日本を代表する民族音楽学者の小泉文夫さんや小島美子さん、コダーイシステムの創始者にしてハンガリーの大作曲家のコダーイも長年言い続けてきた事です。

人はどうしても自身の美学の殻に閉じ籠りがちです。特に西洋クラッシックを深く学んだ人程この傾向が強いように思われ、また逆に一般の音楽リスナーや志望者はマスメディアがあおった流行り歌のみしか聴こうとせず、ワールドミュージックや民族音楽関係者の多くは価値の相対化の思想いわゆる文化相対主義の思想から西洋クラッシックの芸術至上主義との対立をよぎなくされています。

等結局の所何かの主義、思想は必ず何かの対立を持たせるのです。それは思想や主義が結局は説明であり真理そのものではないからでする。と話はわきにそれたが開けた耳とはあらゆる世界の民謡、芸術音楽、流行り歌、芸能、等を聴き美学自体に自在性を持たせる事に他ならず、要するに食わず嫌いや偏見を辞めて貪欲なまでの真理探究の精神を持つ事を意味しているのです。もちろんそれらを可能とする基礎に音に対する記憶力の深さを訓練する事は非常に便利であるが絶対条件ではありません。

それらを踏まえた上で世界の声、声、音、音を聴きあさってみて下さい。必ず開けた耳と開けた美学が手に入るはずです。それにより声の自在性を開発する基礎を修得し、音楽創造、芸術創造開発の基礎を手にする事も同時に修得出来ます。)を再生させる事です。かつての偉大な発声練教師は聴く事を大変に重要視し、昔の歌い手達は山びこにより自身の声をよく聴き訓練していたそうである。20世紀最大のテノール歌手であるエンリコカルーソーも「重要なのは皆さんの声をよく聴く事です。」とインタビューに答えています。日本の禅の公案の中にも「片手の音声」と呼ばれる片手から出る音声「おと」を聴く修行がありますが、聴く力を養うことはあらゆる精神活動や表現活動の基礎になる事を表すいい例の一つです。それは古代インドや古代ギリシャにおいて、あらゆる芸術や哲学の修得の基礎に音楽を用いていた事からもわかるでしょう。 今日、世界のあらゆる物質の歌に乱れが生じています・・・。我々、人を形創る歌にも乱れが生じています・・・。全ての問題は音楽的調和の乱れだと多くの偉人達は訴えています・・・。

私達は、世界が音楽的調和を再び取り戻し、本来の「歌」を歌い出す事を祈ります。そして世界がこのまま歌う事をやめないで歌い続けてくれる事を願いオルフェ音楽教室の名をつけました。
メニューへ